酒と思索の迷宮『いつもの宵の、酔い語り』第68夜

東西ドイツ統合前夜。東独、仰天の世相! 2
さて今月は、1月号で東ドイツ消滅1週間前の事情をちょっと語った時点で、到底紙面が足りないことに気付いて、次号以降に続くとさせてもらった話の続きだ。およそ旅は、移動し、見て、食べて、泊まるがその全てだ。が、ガチガチの共産国家・東独の事情は西側とは大違い。見るもの聞くもの全てが仰天の連続であった。
東独入国は難儀が予想されたのだが、知らぬ間に自分が東独に入っていたという事実にまずは驚愕したのだが、東独を走る道中もまた驚きの連続。まず走っている車の概ね80%が段ボールを樹脂で成形したボディの東独の国民車「トラバント」であったこと。長年自動車関連誌の撮影、編集に携わった私にとっても幻の車が、私の周囲をフツーに走っていることにやや感動を覚えたのだが、その走りっぷりが予想に反してなかなかのものだったことにも驚いた事が1点。
そして2点目。一日に朝夕2時間ずつしか開かないスタンドに多くの車が押し掛けると長蛇の行列になってしまう。が、ここでは何と、車からカセット式の燃料タンクを抜き出して手に持って、人間だけが給油に並ぶのである。日本の灯油ストーブのタンクとほぼ同じ考え方と思えば良い。かなり意表を突かれた1コマであった。そのトラバントが走る東独の道は約半分が石畳で、私が石畳の本場と思っていたベルギー(石畳をベルジャンロードという)を遥かに凌ぐ距離が石畳であった。
で、高速道路の代名詞ともなっている「アウトバーン」(自動車道という意味)は、戦前にヒトラーが首都ベルリンと古都ドレスデン間に建設した165kmがその原型で、実際ここを走るのが私の目的の1つだったから、実際に小雨降る寒い日、最新鋭のカワサキ1000GTRを乗り入れた。
そして仰天!何とこの区間全てが高速道路にもかかわらず石畳だったのだ。それも石の1つ1つの角が擦り減っていない、ほぼ新品の石畳だったのだ。石畳=古くて擦り減っているスリッピーな年代もの。が、私の石畳への常識だったからこれもまたたまげた。
そして何時か石畳の敷設現場を見たいと思っていたところ、マイセン(磁器が有名)の裏通りでこの現場に遭遇。石は先の尖ったほぼ10cm角の天然石なのはその通りなのだが、砂を敷いた地面に埋め込む長さにまたまた仰天。
何と50cm以上もの長さの石を埋め込んでいたのである。人間の歯を想像すればよい。セメント等の凝固剤を全く使用せず、耐用年数が100年もあれば、通常の舗装の何十倍ものコストパフォーマンスである。
ま、しかし最新のオートバイでも、そのゴツゴツした路面の衝撃はライダーにかなりなダメージを与えるし、濡れた石畳のスリッピーさは恐怖そのものであった。
こうして辿り着いた目的地の数々は、この旅を象徴する戦前からの時代の遺物であり、“戦後”の手が入れられていない遺物だから、感慨もまた深く刻まれた。中世からの古城はまさに中世であり、西独の中世のようにメンテナンスの“行き届き過ぎた”中世ではなく、遺物は遺物として経過した時間の織り成す重みと趣が、しっかりと私の眼の奥に刻まれたのだった。
古都ドレスデンの街並みと、第2次大戦で破壊されたこの街の象徴、聖母教会を、その石片一つ残らず全てきちんと保存して、いつかは元通りに再建させるという狂気じみた執念。東独中に点在する中世の古城。エルベ川に浮かぶ広さ30〰50㎡ほどの小さな浮き島群に建つ少数民族のメルヘンそのもののようなバンガロー風の民家。バッハの生家と彼の使ったピアノ(の原型楽器)とガイドが弾いてくれたその音色(客は私のみ)。
マルチン・ルターが宗教改革の原本を書いた1500年代初頭の小さな教会。数え上げればきりが無いほど短期間に巡った戦前の国・東独。
その東独の最新の観光スポット。それは皮肉にもベルリンに残された「東西の壁の」残骸であった。東独人は、その壁の破片をかつての壁跡で売って生活の足しとしていた。私も幾つか買ってバイクに積んでおいたのだが、帰国当日朝に盗まれてしまった。残念!