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シェリー 155 - シェリーの語源はイスラム語

シェリー 155 - シェリーの語源はイスラム語

 シェリーの産地はスペイン本土の南部を占めるアンダルシア州にあります。アンダルシアといえばフラメンコ。けれどもシェリーという名前にフラメンコのイメージはありません。  
ワインはよくボルドーとかシャンパーニュといった産地の地名、つまり原産地呼称で呼ばれます。シェリーの場合、原産地呼称はヘレス・ケレス・シェリーです。順番にスペイン語、フランス語、英語です。正式名称が3か国語で書かれているという、世界でも珍しい例です。シェリーがいかにインターナショナルなワインであるかを示しているといっていいでしょう。  
英語のシェリーとスペイン語のヘレスは全然似ていません。けれどもその歴史を辿っていくと、行きつくところは同じです。紀元前7~8世紀頃、フェニキア人たちが現在のヘレスのもとになる地にブドウ栽培とワイン造りを伝え、その地をヘラと名付けました。そのままだったら今頃シェリーはヘラだったかもしれません。  
けれどもポエニ戦争の後、イベリア半島はローマに占領され、ヘラの町はセレットと呼ばれるようになりました。ビヌム・セレテンシス=セレットのワインはローマだけでなく、各地のローマ帝国占領地に運ばれ、好評を博していました。けれどもローマは西ゴートとの闘いに負け、その西ゴートは、711年、イスラム教徒との闘いに負けます。イスラム教徒たちは、占領したセレットの町をシェリシュと呼びました。  
シェリシュで造られたワインはシェリシュ・ワインとして世界へ…というわけにはいきませんでした。イスラム教徒たちはコーランの教えに従って、アルコール飲料は摂取しないため、ブドウ栽培は制限されました。そんな時代、シェリシュのワインはイギリスに輸出されていたと言われています。シェリシュはシェリーの原型になっています。  
スペインのイスラム支配は1492年のグラナダのアルハンブラ陥落で終結し、この年にコロンブスは新大陸を発見します。以後、新大陸を目指す船は、その出航地であるカディス湾の港から、シェリシュのワインを大量に積み込んで出航していくことになりました。  
新大陸航路は海賊の活躍の場でもありました。イギリスの海賊フランシス・ドレイクは1587年、カディス湾を襲撃。船に積まれていた3,000樽のシェリーを略奪して持ち帰りました。これによって大量のシェリシュが出回ったため、イギリス人たちはシェリシュにはまってしまったのでした。その時代に活躍したシェイクスピアはヘンリー4世を始め、数多くの作品にこのワインを登場させています。当時はシェリスSherisとシェリーSherryの中間ぐらいのシェリースSherrisだったようです。  
こうしてワインを飲まないイスラム教徒が付けた町の名前シェリシュが、イギリス人たちの手によって世界を駆け巡ったため、日本でもこのアンダルシアのワインはスペイン語のヘレスではなく、英語のシェリーと呼ばれているのです。  
ヘレスの町には今もアラブの城塞アルカサルが聳え、その中にキリスト教徒が建てた館があり、ここを会場に、シェリーを始めとする酒精強化ワインと甘口ワインの国際展示会VINOVLEが隔年に開催されています。

明比 淑子 氏