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シェリー 153 - 海を渡るシェリー

シェリー 153 - 海を渡るシェリー

 シェリーの3000年の歴史が語られるとき、必ず出てくるのが「輸出されるワイン」という表現です。そもそもシェリーの起源であるワイン造りの技術を伝えたのが海を渡る民、フェニキア人だったことからしても、船に積まれて世界を巡る運命のもとに生まれたワインだったのでしょう。  
ローマの支配下に入ったスペインでは各地でワインが盛んに造られ、シェリーの里ヘレスのワイン造りも盛んになり、ローマの支配下にある各地に送られていきました。  
711年、アフリカ北部からやってきたイスラム教徒たちはヘレスを占領します。開放されるのは1264年です。イスラム教徒はワインを飲まないのが原則ですが、この時代にヘレスで造られたワインはイギリスに渡ったと言われています。それは、シェリーという名称の由来からわかります。  
フェニキア人は現在のヘレスをヘラ(シェラ)と呼んでいました。その後ローマ人たちはセレットと呼び、イスラム教徒たちはシェリシュと呼びました。その時代にイギリスに渡ったヘレスのワインは「シェリシュから来たワイン」、つまり「シェリシュ」でした。これが変化して現在のシェリーに至っています。スペインでもイスラム名のシェリシュが元になってヘレスに変化しています。  
イギリスでシェリーが爆発的に流行ったのは、1587年、イギリス艦隊を率いるサー・フランシス・ドレイク(もともと海賊で、海賊行為をしながら世界を一周し、儲けを英国王室に献上したためナイトの称号が与えられた)がカディス湾に停泊中のスペイン無敵艦隊を襲ってシェリーの樽3,000個を略奪し、イギリスで売り放ったことによります。この時代の作家、シェークスピアもその恩恵を受けて、大いにシェリーを飲み、多くの作品に登場させています。それ以来イギリス人はシェリーを手放せなくなり、現在もシェリーの最大の輸出相手国であり続けています。  
今から30年前、1994年の統計でイギリスはシェリーの総出荷量の約4分の1、24.91%を占め、常にトップ争いを続けていたオランダは26.52%、ずっと3位のドイツが18.97%、そして生産国のスペインはわずか15.12%でした。つまり輸出が85%近くを占める超輸出志向のワインでした。この状態はかなり長く続いています。20年前、2004年になるとイギリスは32%、次いでオランダが23%、スペインが22%で第3位に上ってきます。そしてついにスペインが対イギリス出荷量を超えたのが2010年です。ごく僅差で、スペイン27.4%、イギリス27.2%。以後スペイン市場が徐々に主流になっていき、2024年現在の統計ではスペインが45.7%、イギリスは23.5%になっています。  
ちなみに日本は2024年、9位で、10年前の2014年の10位から1位上がっています。25年前、シェリーの対日プロモーションを始めたとき、ランキングに日本の名前はなく、ベスト10に入ることを夢見ていました。そして徐々に変わってきているシェリー市場のなかで、今、日本は期待される国に挙げられています。それは、米国と共に、輸入するシェリーの平均価格が高いからです。量より質。品質の高さを分かってくれる市場として極東の国、日本が期待されています。

明比 淑子 氏