シェリー 152 - フェニキア人

シェリーの歴史は3000年。その最初に出てくるのが「紀元前1100年ごろ、フェニキア人がカディスにワイン造りを伝えました」です。
日本ではあまり聞くことのない“フェニキア人”ですが、スペインのワインの歴史には時々出てきます。フェニキア人の遺跡には石製のラガール、つまりブドウ踏みのスペースが残っていて、それがそのワイン産地の一番古いワイン造りの痕跡になっているからです。シェリーの場合はシェリー生産の中心地ヘレス・デ・ラ・フロンテラとグアダレーテ川河口の熟成地エル・プエルト・デ・サンタ・マリアの間ぐらいのところにドニャ・ブランカの考古学遺跡と呼ばれる紀元前8世紀からの遺跡があり、紀元前3~4世紀の遺構からフェニキア人たちが作った石積み式のラガールが発掘されています。
フェニキア人は地中海の東の端、現在のレバノンのあたりを拠点にして、いくつかの都市国家を形成していた民族で、紀元前12世紀頃からは主に地中海を舞台に、北アフリカからイベリア半島に至る広い範囲で海洋交易を行っていました。
レバノン杉をご存じですか?巨大に育つ樹で、様々な用途で使われたため伐採が進み、激減してしまって現在はレバノンの山奥にしか残っていないとのことです。けれどもフェニキア人たちが活躍していた時代には海岸線近くまでたくさん生えていて、彼らはこのレバノン杉で船を作っていたそうです。
フェニキア人はイベリア半島にいくつか交易拠点を持っていました。当時、ワインは航海に欠かせない栄養素の一つでした。そのため行く先々でブドウ栽培とワイン造りの方法を伝授し、現地の先住民にワイン造りを任せ、彼ら自身は交易のため寄港すると、その地で出来たワインを補充し、次の港へと渡っていっていました。
シェリーの産地はジブラルタル海峡を抜けた先の大西洋岸にあります。かつてNPU(Non Plus Ultra)つまりここから先は何もない地の果てといわれていたヘラクレスの柱の一本とされるジブラルタルの岩を横目に、航海術に長けたフェニキア人たちは、その先へと漕ぎ出していました。
そして紀元前1100年頃、彼らが到達したのが、西欧で最も古い都市といわれるカディスです。この時代、カディスはイベリア半島と繋がっていませんでした。さらに、海はかなり内陸まで入り込んでいました。現在ドニャ・ブランカの遺跡は小高い丘の上にあり、南側には平坦な原野が広がっています。けれどもフェニキア人たちが到着した紀元前8世紀頃、そこは海辺で、遺跡がある丘には港として使いやすい入り江がありました。既に水は全くありませんが、その面影は感じられます。
フェニキア人は本拠地であった地中海東端地域の勢力を失いますが、アフリカ大陸に建国したカルタゴはイベリア半島にも進出しました。けれども3度にわたるポエニ戦争でローマに敗れ、スペインはローマの支配下に入り、ワイン造りはますます盛んになっていきました。
そんな時代から現在までずっと造られ続けてきたワインだと思うと一杯のシェリーにも壮大なロマンが感じられます。大きなグラスでたっぷり飲みたいですね。
