酒と思索の迷宮『いつもの宵の、酔い語り』第67夜

私がSNSを嫌う理由
先月号ではスマホ依存問題の内、ゲームの持つマイナスの側面に対する私なりの感想を語らせてもらった。で、今月はスマホユーザーの多くがハマっているSNSに対する私の突込みと密かな怒りを一席。
そもそもSNSなる単語は日本独自の造語で、欧米ではSM(ソーシャルメディア)と呼ぶと、私の酒場仲間のドイツ人が教えてくれた。そしてこのドイツ人が10年以上も前、私に「フェイスブック」をやろうと持ち掛けてきたことがあって、早速、私もこのアカウントを作った。が、考えてみればほぼ3日に1度は酒場で顔を合わせているのに、何でパソコン上でゴチャゴチャやるのかが馬鹿馬鹿しく思えて、一度も投稿したことがないまま10年以上もアカウントを放置したままである。
そして私が全く関心を持てないのが「ツイッター」(現X)や「インスタグラム」等のメディアである。この内、ツイッターは多くの政治家やら芸能人やらが、自分の意見や近況報告を短文で表現して、自分を世間にアピールする手段としている。
これだけならば害毒もないのだが、嘘か真実かも不明な裏付けのないデマ、誤情報を繰り返し一方通行で拡散させたり、特定の個人に対する誹謗中傷をする連中も少なからずいる。あるいは逆に自分が誤情報を信じ込まされてしまうという茶番も多い。これらの根本原因は発信者の“貌が見えない”、つまりアカウント名だけで実名が晒されない、個人が特定されないことがそもそもの原因であり、問題の本質である。害毒のある情報が氾濫した状況はまた、若年層まで巻き込む。事の正否、善悪、意味合いを取捨選択し、自分の行動を制御する能力を年端の行かない子供たちに求めるのには無理がある。昨年12月にはオーストラリア政府は16歳未満の子供たちが10種類に及ぶSNSの利用を法律で禁じてしまったが、問題はそういう次元までSNSの弊害が表面化しているという事である。
そしてこういう状況を商売に繋げる事例も多いと聞く。何と節操のない時代になったものか。
また「インスタグラム」には自分が今日何をやったか、何処で何を食べたかやら、やれ、旅行に行っただの、こんなものを見ただのと極めて個人的な行動を写真付きで晒す人物が極めて多い。個人情報の秘匿がうるさく叫ばれている時代に、個人の趣味嗜好やら行動を自分から曝け出して何が面白いのか私には理解不能だ。
この手の何となく人畜無害に見える投稿に対して「いいね!」なるレスポンスを返す連中もまた同様に多い。そしてこの「いいね!」の数の多さが投稿者の自慢らしく、これによって社会と“繋がっている”と勘違いしている有様だ。本人たちはこの「いいね!」によって社会の多数にコミットしている気分なのだろうが、実際は逆で、自分が社会のその他大勢に紛れ込み、溶け込んで存在感を削ぎ落とされているのだ。何だかなぁである。
また名指しはしないが通信系のメディアでは詐欺、強盗、性犯罪等に使用される場合も多発してる。が、これを当局は“通信の自由”が足枷になって何ら手を打てていないという状況もある。
こんな中、昨年11月21には静岡県の教育委員会は、教師が18歳未満の教え子にSNSによる連絡を全面的に禁止する通達を出した。勿論、頻発するSNSを使用した年少者に対する性犯罪頻発に対しての措置なのだが、我が静岡県では教師と若い警官の性犯罪が繰り返し報道されていて何か哀しい気分である。
法でSNSを規制する傾向は先のオーストラリアだけではない。アメリカやEU、英国でも法制化が検討され始めていて、アメリカではユタ州がソーシャルメディア規制法が既に成立しているし、EUもこれに続いている。法に従わないメディアに対しては、巨額の制裁金が課されるのが欧米の常なのだが、規制に対する臆病なほどの立ち遅れ、出遅れが常の我がニッポンの対応はどうなのだろうか?
私的にはかなり憂鬱な2026年である!