酒と思索の迷宮『いつもの宵の、酔い語り』第66夜

スマホ中毒? 国民病でしょう!
先日、本当に久しぶりに電車に乗った。普段はバイクか車移動なので何か新鮮な気分だったのだが、座っている人も立っている人も,人々の眼は例外なくスマホの画面に釘付け。その異様な雰囲気に気圧されてしまった。
普段から電車通勤のカミさんにそのことを話したところ、それは最早フツーの光景であって、「無言の行」でもあり、ほぼ80%超はゲームに入れあげている様だとも言った。私は元々、ゲームとカラオケとピンポンが大嫌いだから呆れてものも言えない。大体、どれだけ勝とうが1円の得にもならない無報酬、無景品……。馬鹿らしいにもほどがある。私はこういったものには全く興味が持てないし、ロマンも価値もヒクリとも見いだせない。実利人間なのかな?
この手のスマホ人種は通勤通学途中だけではなく、家に帰ってからもスマホを手放せないでいるとも聞いた。もはや依存症と言って良い。そしてこのコミュニケーション薄弱なスマホ依存症時代には、明確にパソコンやケータイという前段があった。
もう数日で21世紀というある日、私は仕事中、突然歯茎が腫れて歯医者に駆け込んだ。場所はロサンゼルス。その歯科受付の女性が日本人で、待ち時間の私との会話に、自分の旦那と息子は家に帰るなりパソコンの前に4〜5時間も座り込んで、食事時間もおろそかになって、会話も極小。家の中のコミニュケーションは全てパソコンに奪われてしまったと、私に愚痴った。だから日本人の患者が来ると必要以上に話し込んでしまってごめんなさいと謝られた。
私には単に遊びや暇つぶしにしか見えないゲームが、今日的には文化だという人もいる。実際、今年2025年の文化勲章には、「ドラゴンクエスト」なるゲームの作者が叙勲されていて、このことは国を挙げて、遊びを“文化”に昇華認定させたと言って良い。
私の知り合いの息子は、ゲームには夢中なのだが始めて暫くしてうまくいかず、結果が見えてくると最後までやらずにリセットしてしまうという。私はこういう行為が諦めずに最後まで“やり切る”という、粘りや責任感が成長期に育まれるのを阻害していると思うし、人生の大切な部分で「リセットすれば済む」という安易な考え方に直結していると思わずにはいられない。
近頃問題の「闇バイト」による犯罪も間違いなく、その安易思考の一端である。人生を安易に考え過ぎるのだ。国が文化と認めたゲームの裏に潜む別の側面と言って良い。
そしてこういう遊び事には中毒症状に陥る要素が多々あって、依存症という本来は精神科を受診すべきビョーキ状況の人も少なからずいる。で、ここが大切な部分なんだけど、本来、暇な人がする暇つぶしを、暇がないはずの若年層が夢中になっていては、最早、非生産的という言葉では片づけられない危機的状況、国民病だと私は思う。
で、ゲームを官製の文化としたこの国に、真っ向から対峙した自治体もある。愛知県豊明市がそれで、私は市町村合併で生まれたこの豊明市という新しい名前が耳に馴染まず、何処にあるかも定かではないのだが、スマホの使用時間を制限する条例を制定したこの都市の文化的規模と、文化的地盤の立地条件を知りたいのである。条例を制定するほどスマホ使用時間を深刻な問題と捉えてのことだろうが、これは一言で言えば、国と地方自治体間のマッチポンプである。
国がマッチで火をつけて、自治体がポンプで消す。この国で起きているこの現象は最早喜劇に等しい。いっそ、罰則も付帯すれば?と思ってしまうのだ。
そして、スマホの功罪の今一つの罪(と、私は思う)、SNSも私は同時に断罪しておきたい。私的には全く無関心なんだけど、SNSにのめり込んで、人対人という最小限の社会コミュニケーションの埒外世界に住む住人のなんと多い事か。この問題は次号で語らせて頂きます。