酒と思索の迷宮『いつもの宵の、酔い語り』第65夜

東ドイツ、消滅前夜! 前編「トラバント」
今年も10月3日が巡ってきた。1990年10月3日はドイツ民主共和国(東ドイツ。以下東独)が消滅した日である。この日に先立つ約11カ月前、悪名高かったベルリンの壁が崩壊し、東独の国家消滅は秒読みとなり、東独渡航の手続きも事実上不要となっていた。
1つの国家が消滅するという出来事はそうそうあることではない。私はこの“壁”崩壊の頃から東西ドイツは統合され、東独の市民意識、感情、街並み、風物全般の佇まいは西独化してしまうのは必定だから、この東独らしさが消えぬうちに、その姿を自分の眼の底に刻みつけたい、見てみたいという欲求にかられていた。
何故ならば、私は1984年以降、毎年、年に2回西独のあちこちをバイクで走り回っては、アウトバーンという超現代と、珠玉のように残された中世都市の対比の妙に感じ入っていた。そしてその都度、壁の向こう側、東独の、西側の中世都市のようにきちんとメンテナンスされてはいない、手付かずに残されているだろう濃密な中世の風物、香りに触れてみたいと思っていたからだ。そこには多分、戦前の旧き本来のドイツがそのままだろうという予測もあった。
ガチガチの共産国家で生活物資も不足しがちなうえ、市民の思想も自由もしっかり統制された重苦しい市民社会の警察国家というのが、以前からの東独に対する私の印象だった。
実際、東独を訪れるには厳格な入国手続きは当たり前。入国後も事前に申請した目的地以外への行動の自由は徹底的に制限され、ちょっとでも“怪しい”フシがあればたちまち“御用”となるのは有名な話だったから、東独行きは「怖いもの見たさ!」以外には考えられない状況だったのだ。ましてやバイク旅行など……。人に話せば、それは夢物語以前の話だと一蹴されて当たり前だったのである。
それが突如としてチャンスが到来した。この乾坤一擲のバイク旅のため、私は無理に無理を重ねて20日間の休暇と乏しい費用を強引に捻り出し、どうにか出発に漕ぎ着けたのだった。
「魔女がホーキで空を飛ぶ」という伝説で有名な山、ハルツ山は東西ドイツの国境に半分づつ横たわる。私はまず、そのハルツ山の西側の麓の街、ゴスラーを訪れ、街の雰囲気を胸に刻む。そしてその後、山の懐を迂回して東独に入国後、東側のハルツ山麓の街・ヴェルニゲローデに行って、同じ麓の街が東西でどう違うのかをとくと見聞するつもりで行動を開始した。
ハルツ山の懐を東独に向かって進む途中、異変は起きた。標識に従って走るうち、通過する村々の雰囲気がどうも見慣れた西側の風情ではないことに気付く。薄汚れて陰湿。人の気配もないようで、これはもしや既に東独に入ったか?と思うが、地図にある筈の国境検問所は通過していない。
そして、とある村の交差点で一時停車した時、道路脇の商店の中を覗くと、ガランとしていて棚に並ぶ商品は半分に満たず、ウィンドーはガラスではなく透明のビニールが張られている。そして、隣の人家の窓のカーテンが揺れて誰かがこちらを覗いているような雰囲気。腹の底がムズムズして不安がいや増す。
その時、私の前を走っていた西独ナンバーのベンツから初老の夫婦が降りてきて、「どうやら、我々は東独に迷い込んだらしい。自分だけでは不安だから、あんたのオートバイも自分と一緒に走ってくれないか!」と言う。大歓迎、思わぬ「渡りに船」となった。
ほどなくして幹線道路に出たのだが、そこを走る大半の車は、世界でも唯一の段ボールを樹脂で固めたボディを持つ東独の国産車、西側人間にとっては幻の「トラバント」がごく普通に走る、私にとっては現実離れの異世界が普通に展開していた。間違いなく東独である。
この後、私の10日間は、唖然、呆然。タイムスリップ同然の異次元体験が次々に展開することになる。 (続く)