酒と思索の迷宮『いつもの宵の、酔い語り』第60夜

饒舌な空とトンビ
5月。春から初夏へのこの季節。気候は心地良いのだけれど空の表情は乏しい。凡庸である。
冬が去って春めくと、柔かい日差しを肌で感じられるから、何となく空気に暖色系の色合いが感じられるし、空も心なしか色づいたことを知る。空の表情とは、空の色と雲が織りなす風情なんだけれど、この頃の空にはそれが極めて乏しい。
そして梅雨が終わると夏。空は一気に男性的で豪快な表情に変化する。
水平線に湧きたつ入道雲の鮮やかな白が、青空に強いコントラストを描き、黒い雷雲は不気味に湧き上がって夏の嵐を予感させる。雷雨が焼けたアスファルトを叩き、灼熱も草いきれも人に容赦ない。夏は全てが陽性で男性的な季節であることを空が象徴する。
秋。夏が去って気温が下がると、人は安息の時を迎える。里も山も色づいて豊穣を感じ始める頃、空も蒼さに深みが加わって饒舌の時を迎える。
空が澄むから雲は多彩な色のグラデーションを見せる。まるで大空に描かれたページェントのようだ。夏の燃えるような落日とは一味違った、繊細で細やかな色づき。冬を迎えるまでの谷間の季節。短くも空の表情には趣が宿る。
そして冬の空もピリピリとした深い蒼さがあって、雪雲が空を掃いて流れる光景は、季節風と共に人に角が尖った冷たさを感じさせる。
私がポケットカメラで空模様を撮影するようになって久しい。空には表情があるのだ。そしてその表情によって、空を見上げる私の気分も微妙に変化する。
それまで私は空を見上げても、「好い天気だな!」とか「降って来るな!」程度の思いしかなかった。天候がダイレクトに結果に結びつくカメラマンとしてはかなりいい加減だったのである。
それが仕事の前線を1歩退いた後になって、空の具合いを読むようになったのだから妙なものだ。
私の生活環境は犬を迎えて激変した。犬と共に猟場を歩いたり訓練したり、常日頃の散歩等々、すっかり犬との生活に魅せられてしまったのだ。趣味の領域を跳び越えて、日常生活そのものになってしまった。
が、暫くは未だ天気の良否以外に空を見上げては何か感ずるということはなかった。何といっても体重42kgと28kgの大型犬2頭を散歩させるのだから、用足しや匂い嗅ぎの見張り等々、私の視線は常に地面集中。空を見上げる余裕などなかったのである。
それは海岸を日課の散歩をしている時、突然起こった。私が犬の糞を始末しようと屈んだ時、犬の糞をエサか何かと勘違いしたトンビが急降下。そのトンビの爪先が糞に触れようとするまさに一瞬、体重42kgのゴン太(犬の名前)がジャンプ一番トンビの背に飛び乗り、首筋をガブリとやったのだ。
ゴン太はトンビを直ぐに放したのだがトンビはあまりの驚愕に失神。トンビとタヌキは驚愕すると自分で自分の意識を断ってしまうのは有名で、私は山の道路脇で失神しているトンビは何度も目撃しているが、体躯の大きな鳥が私の目の前に横たわる姿にはちょっと驚いた。
狸の失神は「狸寝入り」という言葉もあるが、トンビは何と表現したら良いのか。翌日以降、私の視線は空にも向けられるようになり、空の美しさにも気付いたのである。蛇足だが、この時以来ゴン太の視線も時折、上を向くようになったのだった。
この失神したトンビはまた、私の散歩仲間の帽子を狙って急降下するので有名な個体だったらしく、直ぐに駆け付けた仲間は、「(トンビが)生きていて良かった!」と言った。
夕焼けの秋空に浮かぶ雲。その中をトンビがぐるりと輪を描く。そんな写真を撮ってみたいのだがチャンスは未だない。