日本ワイン、再発見 - 日本ワイン発展の礎を築いた鳥井信治郎の功績

赤玉ポートワインの生みの親
鳥井信治郎氏が商売を始めた当時の日本では、洋酒はまだ一般的ではなく、ワインも一部の上流階級や外国人向けの飲み物でした。
鳥井氏は「日本人のための洋酒をつくる」という信念のもと、1907年に甘味果実酒「赤玉ポートワイン」を発売します。
親しみやすい味わいは、多くの日本人に受け入れられ全国的なヒット商品となりました。
また、美人画を用いた、大胆で洗練されたデザインのポスターや新聞広告などを積極的に活用し、全国的な知名度を獲得していきました。
この革新的な広告戦略も日本ワインの発展に大きく貢献しました。
赤玉ポートワインの成功は、日本に“ワインを飲む”という習慣を生み、市場そのものを育てたという点で、日本ワイン史において大きな転換点だったと言えます。
日本で育て、日本で造る
戦争や内乱など、世界的な情勢不安の影響で原料の輸入が難しくなる中、鳥井氏は原料ブドウの国産化に向けて動きます。
1936年には長野県塩尻市にワイナリーを開設。また、登美農園(現:サントリー登美の丘ワイナリー)を継承し、本格的にブドウづくりを始めるなど日本でのワイン造りの基盤を築いてきました。この時に開いた日本各地のブドウ産地の多くは、現在ではヨーロッパ系の高級ワインブドウの産地に生まれ変わり、日本ワインの中核を担っています。
鳥井信治郎が残したもの
鳥井氏はしばしば日本ウイスキーの父として語られますが、その功績はワインの分野にも及びます。
ワインを日本人に広く親しまれる飲み物へと育てるとともに、自社農園による本格的なブドウ栽培と醸造に挑戦した先駆者として日本ワイン発展の礎を築きました。後に麻井宇介らが品質向上を進め、今日、日本ワインが国内外で高い評価を受けるようになった背景には、鳥井氏の先見性と情熱が大きく息づいています。