お酒とマナーのマリアージュ 第12回

皆さま、こんにちは。お酒とマナーのマリアージュへようこそ。
3月は別れと出会いが交差する節目の月
三寒四温の言葉どおり、寒さの中に柔らかな春の陽気を感じる季節になりました。
卒業、転勤、退職…。慣れ親しんだ場所を離れ、新しい世界へ踏み出す方々にとって、この時期に飲食店で過ごすひと時は、単なる食事の時間を超え、「一生の思い出」になることも少なくありません。
今回は、そんな旅立ちの季節だからこそ大切にしたい、「見送りの美学」についてお話します。
窓の外に見える「安心」の風景
皆さまは、飛行機の出発時、窓の外をご覧になったことがありますか。
エンジン音が響き、機体が動き出すと、窓の外には地上スタッフが一列に並び、大きく手を振ってお見送りしている姿があります。雨の日も風の日も、飛行機が滑走路へ向かって小さくなるまで手を振り続ける姿。私も何度もその側に立ち、お見送りをしました。
あの手には「ご搭乗ありがとうございます」という感謝と「行ってらっしゃいませ、良い空の旅を」という安全への祈りが込められています。そして、何より嬉しかったのは、窓越しにお客様が、手を振り返して下さった時です。言葉は聞こえなくても「ありがとう」「行ってきます」という想いがつたわり、心が通じ合う瞬間でした。
「見送られている」「大切にされている」と感じるだけで、旅立つ不安はふっと軽くなるものです。
記憶に残る「最後の一瞬」
この「相手を大切に思い、見送る心」は、飲食店のサービスにおいても、最も大切なマナーのひとつです。心理学の「ピーク・エンドの法則」が示すように、人の記憶は「最も感情が動いた時」と「去り際(エンド)」の印象で決まります。
どんなに美味しいお料理とお酒を楽しんでも、最後の対応が事務的だと寂しい印象が残ります。たとえ、短い滞在でも、帰り際にお店の外まで出て、「ありがとうございました」「お気をつけて」と心を込めて見送ってくれるお店なら、「今日はいい日だった」と、温かな気持ちで帰路につけるでしょう。
大切なのは、お客様が去った際に、すぐ背中を向けない余韻(残心)です。
エレベーターの扉が閉まるまで。あるいは、お客様がふと振り返った時に、まだ見守っていること。その一瞬に感じる余韻(残心)こそが、お店のファンを創る「最後の一瞬」なのです。
サービスの中に「見送りの心」を込める
旅立ちの季節、この「見送りの美学」は、帰り際だけのものではありません。サービスの中に、さりげなく取り入れることもできます。
未来が明るいものであるようにと願いを込めて、一杯を提案すること。それも立派な「見送り」です。
「ご卒業おめでとうございます」
「新しい場所でのご活躍をお祈りします」
そんな言葉とともに、ふさわしい一杯を提案する。
春を告げる「ロゼワイン」や「うすにごり」の日本酒。春限定のビールやカクテルも喜ばれるでしょう。
また、立ち上る泡に「運気の上昇」や「絶え間ない幸せ」を重ねたスパークリングワインや、縁起のよい名前の日本酒をおすすめするのも素敵です。そこに「素晴らしい未来になりますように」などの一言が加われば、それは単なるお酒ではなく、体の中から元気になる「応援酒」にかわります。
春、新しい風になって
見送りとは単なる別れの挨拶ではありません。相手の幸せを願い、背中を押すエールそのものです。
テーブルでは「温かい言葉と春色の一杯」で未来を祝い、帰り際には、余韻(残心)をもって静かに送り出す。新しい扉を開こうとしているお客様がいらしたら、皆さまのお店ならではの心尽くしで、その旅立ちを応援してみてください。
1年間、連載をお読みいただき、ありがとうございました。
【 豆知識 】 「はなむけ」の語源は「馬の鼻」
旅立つ人に贈る「はなむけ」の語源は、昔、旅人の馬の鼻を行き先に向けて安全を祈った「馬の鼻向け」にあると言われます。「はなむけ」の漢字は「餞」と書き、餞別の「餞」です。
現代なら、お帰りのタクシーやエレベーターまで見送り、相手が進む方向へ体を向けて一礼する所作が、まさに「現代の馬の餞(はなむけ)」。時代が変わっても、相手の無事を祈る優しい心根は、変わらずに受け継がれています。
